関東の地

江戸時代


 鎌倉幕府など中世に関東が歴史に登場しますが、徳川家康が江戸に本拠地を移して関東は日本の中心として飛躍的に発展した。
 江戸時代には武蔵国、相模国、上総国、下総国、安房国、上野国、下野国、常陸国を総称して関八州を呼び、広大な関東平野は農業を盛んにして江戸幕府を三百年支えた。
 近年、江戸幕府後、明治政府が誕生すると、天皇や皇族が京都から江戸城に移り、江戸は東の京、後に東京と改名された。東京は明治政府の本拠地となり、これ以後、実質上の首都、政治・経済・文化の中心となった。
 関東は、畿内以外で初めて、中央集権型政権の本拠地が置かれる地方となった。
 
 現在、日本の総人口の30%である4,000万人がこの地域に集中している。
 かつては農業、漁業が産業の中心であったが、日本の近代化と共に次のような工業地帯も現れた。
 *関東内陸工業地域
 *常盤工業地域
 *鹿島臨海工業地域
 *京葉工業地域
 *京浜工業地域
 これら工業地域は、日本の高度成長に大きく寄与している。


陽明門


  元和二年(一六一六年)四月一七日、徳川家康は駿府で七五年の生涯を閉じた。日光輪王寺の貫主天海僧正に託された遺言によって家康を祀る小祠が日光山に造営されることになり、二代将軍秀忠がこれに当たった。のち寛永一三年(一六三六年)三代家光は、江戸幕府の権力と財力を結集して大改築を行ない、現在の東照宮が完成された。その豪壮華麗なたたずまいの中にあって、ひときわ精巧な輝きをみせるのが、世界に名高い「陽明門」である。
 この門は別名を日暮門≠ニもいう。あまりにも蒙華精緻な装飾彫刻が、終日眺め暮らしても見飽きない味わいと風格とを備えているからである。
 陽明門というのは、元来は内裏一二門のひとつだが、とくにこの門の名として朝廷から賜わったものである。正面軒唐破風下の後水尾天皇宸筆の「東照大権現」の額とともにこの門の貫禄を示すものといえよう。極彩色の彫刻は江戸初期工芸真髄の結晶である。